津村巧の

カメラ図鑑

TAKUMI TSUMURA'S

CAMERA GUIDE

 

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津村巧のカメラ

メーカー編

 

ここで紹介されているカメラは津村巧が所有する、

もしくは所有していた一眼レフカメラのボディです。

 

このセクションのカメラ

 

 

 

 

 

 

ニコン

NIKON

 ニコンの前身は日本光学工業株式会社。1917年、第一次世界大戦の最中に国策会社として設立され、第二次世界大戦中は「15m測距儀」などの光学兵器を製作する。民需用のカメラボディを製造するようになったのは戦後である。

「ニコン」という名称は、元々日本光学が製造するカメラのブランド名として付けられた。レンジファインダーカメラのニコンI型に始まり、日本光学は様々なカメラを生み出していく。

 ニコンを世界的に有名にしたカメラが、1959年に発売された一眼レフのニコンF。

 一眼レフはこれ以前にもあり、実用的なカメラとして徐々に受け入れられつつあったが、ニコンFの堅牢性や使い勝手は群を抜いていて、35ミリフィルムカメラの主流がこれまでのレンジファインダーから一眼レフへと完全に移行するきっかけとなった。

 日本光学はその後もプロの酷使にも耐えられる丈夫なカメラを送り出し、日本屈指のカメラメーカーとなる。

 日本光学が社名を「株式会社ニコン」に変更したのは1988年のことである。

 ニコンは頑丈で壊れないカメラを作ると定評されている一方、保守的との意見もある。一眼レフ用のFマウントが、1959年発売のニコンFからずっと変わっていないことや、露出計を内蔵する一眼レフが当たり前になりつつあった時代に露出計が外付けの一眼レフF2を発表したりしたことが、そう見られる理由だろう。

 しかし一方で、デジタル一眼レフを一気に普及させたD1を発表するなど、革新的な面も持ち、超音波レンズや手ぶれ補正機能付きレンズのように先端技術も充分に吟味した上で取り入れている柔軟性も持っている。

 

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ミノルタ

MINOLTA

 ミノルタの前身は日独写真機商店。1928年に田嶋一雄によって創立された。第二次世界大戦以前からカメラ製造に携わっていた。

 後に社名となった「ミノルタ(MINOLTA)」は、Machinery and INstruments OpticaL by TAshimaの略とも、「稔るほど頭を下げる稲穂のように謙虚であれ」の「稔る田」を意味しているとも言われる。

 昔から先端技術を積極的に採用するメーカーで、オートフォーカス一眼レフα-7000でいわゆる「αショック」を引き起こして国内一眼レフのシェア第一位になったり、レンズ交換式デジタル一眼レフの元祖ともいえるRD-175を発表したり、新フィルム規格APSの一眼レフ(VECTIS)を発売したりしている。

 しかし、先端技術を充分に吟味しないまま採用したのではと思われてしまうようなカメラまで送り出してしまい、シェアを徐々に落としていく。近年は、一眼レフにおいては先端技術の採用に消極的になってしまい、現行レンズラインアップに超音波モーター付きのはなく、手ぶれ補正機能付きのもない。

 2003年、経営難に陥ったミノルタは、コニカに吸収合併され、コニカミノルタとなる。

 コニカミノルタは後にカメラ事業部をソニーに譲渡し、自身は完全撤退。現在はオフィス機器専用メーカーになっている。

 

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キャノン

CANON

 キャノンは国内最大のカメラメーカーの一つ。

 複写機製造をきっかけに1980年代以降事業を拡大し、カメラ以外にもプリンター、スキャナー、コピー機などOA機器の分野でもトップシェアを争う大企業へと発展した。

 現在カメラは電子部品の塊だが、その流れを作ったのもキャノンである。

 キャノンの一眼レフは、フィルム一眼レフにおいてもデジタル一眼レフにおいても「世界最高」や「世界最速」を誇る機種が多い。

 一眼レフ用レンズラインアップでは、ほぼ全てが超音波モーターを搭載しており、手ぶれ補正機能付きレンズの種類も豊富。

 その先進性を買って、キャノン製カメラを使うプロも多い。

 

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ゼニット

ZENIT

 ゼニットは、旧ソ連の光学機器メーカーKMZ(クラスノゴルスク機械工場)が製造していた一眼レフカメラのブランド名である。(共産時代の旧ソ連には「企業」というものは正式には存在しなかった為、「メーカー」は正しくないが)。KMZは、他にゾルキーのブランド名でレンジファインダーカメラも製造していた。

 KMZは数々のシンプルながらも頑丈な金属カメラを製造してきたが、旧ソ連崩壊は一眼レフカメラの外装をプラスチックにするなど、安価路線を走ることを強いられる。

 ZENITは「天頂」を意味する。

 

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プラクチカ

PRAKTICA

 プラクチカは、旧東ドイツのペンタコン人民公社が販売していた一眼レフのブランド名の一つ。欧州においては、最後まで独自に一眼レフカメラを設計・製造していたメーカーである。

 現在、ペンタコンはプラクチカのブランド名でコンパクトカメラを出しているものの、一眼レフは1990年代のBシリーズを最後に製造していない。

 ペンタコン人民公社の前身は、ドイツの名門光学メーカーだったツァイス・イコン。第二次世界大戦後の東西分裂で、他の多くのドイツ企業と同様、ツァイス・イコン社も東西に分かれたのである。

 ちなみに、第二次世界大戦前にツァイス・イコン社が製造していたカメラブランドの一つがコンタックス。

 日本の京セラが出していたコンタックスカメラと、旧東ドイツで製造されていたプラクチカ一眼レフは、遠縁に当たることになる。

 

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キエフ

KIEV

 キエフは、ウクライナ共和国の首都キエフから名付けられた、Arsenal工場製カメラのブランド名である(Arsenal工場はキエフにある)。

 第二次世界大戦後にドイツが分割された際、ソ連はドイツの名門光学メーカーだったツァイス・イコンの技術を数多く持ち去った。その技術の多くはArsenal工場で活かされることになったのである。

 Arsenal工場は、一眼レフの前に、ツァイス・イコンが戦前に出していたコンタックスレンジファインダーのコピーを製造していた(キエフ2、キエフ4)。

 キエフには中判カメラ(キエフ60、キエフ88)もあり、現在はキエフ製カメラの中核的な存在になっている(一眼レフはつい最近まで製造していたが、終了したらしい)。

 

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パナソニック

PANASONIC

 日本における最大の電機・総合家電メーカー。

 本社は大阪府門真市にあり、創業者は松下幸之助。旧社名は「松下電器産業株式会社(マツシタデンキサンギョウ。英称:Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.)」。2008年10月1日に現社名へ変更。「パナソニック」は本来海外向け音響機器の海外ブランド名。国内では長年「ナショナル(National)」ブランド名が使われていた。

 電球用ソケットの製造販売に始まり、様々な電器製品を手掛けるようになる。

 LUMIXのブランド名で販売されるデジタルカメラにおいてはドイツの光学メーカー・ライツ社(ライカ)等と提携し、ブランド力を高める戦術を取る(LUMIXのデジタルカメラもOEMでライカ製品として販売される様に)。

 レンズ交換式デジタルカメラにおいては光学メーカー・オリンパスと提携。オリンパスが提唱する統一規格『フォーサーズ』に参加。デジタル色をより濃くした『マイクロフォーサーズ』を共同開発し、いわゆる「ミラーレス一眼」を次々発表し、名実共にカメラメーカーとなった。

 

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