津村巧の

城巡り

TAKUMI TSUMURA'S

CASTLE GUIDE

 

ホームページ

日記・掲示板

 

 

 

013

 

首里城

 

中城城

 

今帰仁城

 

 

 

 

 

TOPへ戻る

 

首里城

 

  

守礼門。正殿。龍潭池から望む首里城

 

別名

御城(ウグシク)

所在地

沖縄県那覇市首里区当蔵町

種類

平山城(丘城)、山城

築城者

察度王統?

築城年

14世紀末(推定)

遺構

石門、石垣

初訪問

2012年2月

備考

 首里城は、琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)であった。

 創建年代は明らかではない。近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として用いられていた事が確認されている。

 尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城が王家の居城となった。首里は首府として栄え、第二尚氏においても変えられる事はなかった(第一尚氏はクーデターにより7代で滅び、クーデターを主導した重臣が「尚氏」を名乗って第二尚氏が発足)。

 首里城は数度にわたり焼失しており、その度に再建されてきた。一度目の焼失は1453年に第一尚氏の尚金福王の死去後に発生した王位争い(志魯・布里の乱)であり、城内は完全に破壊された。二度目の消失は1660年(万治3年)で、再建に11年の年月を要した。1709年に三度目の火災が起き正殿・北殿・南殿などが焼失した。この時は財政が逼迫しており、1712年に薩摩藩から2万本近い原木を提供された。現在見る首里城の建築は、三度目の火災の後再建された1715年から1945年までの姿を基にしている。

 1879年の沖縄県設置に至る琉球処分以後は、正殿など首里城の建物は政府の所在地としての役割を喪失し、日本陸軍の第6師団(熊本)の軍営として、その後は首里区(後の首里市)に払い下げられ、学校等として利用された。戦前は正殿等が国宝であったが、沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊されてしまい、僅かに城壁や建物の基礎等の一部が残っている。

 1980年代前半の琉球大学の西原町への移転に伴い、本格的な復元が1980年代末から行われ、1992年に、正殿等が旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。

 2000年12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(シュリジョウアト)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。

感想

 最寄り駅はゆいレールの首里駅(2012年現在では終点)。そこから徒歩15分程度の場所にメインの入り口があるが、城自体は徒歩5分くらいの距離にある。専用駐車場もあり、そこからなら徒歩直ぐ。

 城の大部分は無料開放されており、充分楽しめるが、復元された正殿や御庭(ウチナー)を見るには入場料800円が必要。正殿と連結した鎖之間では、300円で琉球菓子付きの呈茶サービスを受けられる。

 復元工事が進められる為、立ち入り禁止区域も多い。

 石垣は、本土の城の石垣とは全く概念で建てられているのが分かる。復元された建物も、日本の城とは全く異なる雰囲気。

 城全域が元々高地にあり、門から潜ってから更に高い場所を巡るので、動き易い格好をする必要がある。

 沖縄らしく、「ハブに注意」の警告がある。

 沖縄は現在日本の一部だが、元はそうでなかった、という事を実感させられる城である。

 

  

久慶門。本来はここが出口となる

園比屋武御嶽石門。どこかに通じる門ではない、礼拝用らしい

歓会門。ここが入口といえる

 

  

歓会門横のシーサー

シーサーの顔はやけに人間ぽい

久慶門を城内から見る

 

  

久慶門を城内から見る

瑞泉門

瑞泉門近くから見下ろす久慶門(右)と歓会門(奥)

 

  

首里森御嶽。礼拝の場だったらしい

復元された書院

復元された書院

 

  

復元された書院から望む庭園

書院と正殿を結ぶ連絡通路から望む御庭

正殿内

 

  

正殿内の玉座

正殿

広福門

 

  

淑順門

漏刻門

石垣

 

  

石垣。元の部分と復元された部分の境界部分にプレートが

歓会門(奥)

歓会門(奥)

 

  

西のアザナの石垣(この辺りは復元らしい)

西のアザナ内の樹木

車椅子用スロープからも御庭へ行ける

 

  

西のアザナの石門

京の内辺りの石垣

京の内から望む正殿

 

  

京の内辺りの石垣

広福門

広福門

 

  

漏刻門

広福門

歓会門

 

  

龍潭池から望む首里城

龍潭池から望む首里城

円覚寺から望む首里城

 

  

東のアザナの石垣

東のアザナの石垣

 

  

東のアザナの石垣

園比屋武御嶽石門

 

  

歓会門

歓会門と久慶門を見下ろす

 

  

漏刻門と広福門

修復中の北殿

 

  

広福門と奉神門

有料区域案内図

 

  

奉神門

正殿

 

  

正殿

書院

 

  

鎖之間

庭園

 

  

正殿内の石垣(現在の正殿は、遺構保存の為に70センチかさ上げして復元されている)

正殿内の調度品(復元)

 

  

正殿内の玉座

正殿

 

  

漏刻門

歓会門と久慶門

 

  

淑順門

淑順門

 

  

西のアザナの石垣

西のアザナ

 

  

淑順門

京の内から望む正殿

 

  

龍潭池から望む首里城

円覚寺から望む首里城

 

 

TOPへ戻る

 

中城城

 

  

中城城全貌。二の郭から望む一の郭。三の郭への石段と二の郭の石垣

 

別名

 

所在地

沖縄県中頭郡北中城村字大城503

種類

丘城、山城

築城者

先中城按司?

築城年

14世紀後半?

遺構

14世紀後半?

初訪問

2012年2月

備考

 中城城は当時貿易港であった屋宜港から2キロメートルほど離れた標高約160メートルの丘陵上にある。中城村の北西から西北から北中城村の南側に伸びていく丘陵の東崖縁を天然の要害とする。

 創始は明らかではないが、14世紀後半ごろ先中城按司(サチナカグズクアジ)が数世代にわたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味城から移ってきた尚巴志の家臣護佐丸盛春によって、三の郭と北の郭が増築され現在の形が完成した。

 護佐丸によって増築された部分の城壁は「相方積み」という高度な技法で積み上げられている。また、裏門以外に一の郭の2つの城門がアーチ式門となっていることから、その時同時に殿舎のある一の郭の城門をアーチ式に改築したと考えられる。

 1458年に護佐丸は王府軍としてやって来た阿麻和利の策略に攻められ自害し、滅びる。

 その後、中城王子の居城となるが、島津侵入(1609年)後は番所として利用されるに留まる。廃藩置県(1879年)後は、中城村役場として戦前まで利用された。

 日本に開国を迫ったアメリカのマシュー・ペリー提督が1853年5月に沖縄本島を訪れ、ここも訪ねた一行は城を見て、特に真ん中のアーチの門の建築土木技術水準の高さに驚嘆し、この城に関する詳細な報告文を書いている。

 1945年の太平洋戦争沖縄戦により多くの文化財が消滅する中、中城城は戦争の被害が少なかった為、グスクの石積みが良好に残った城だと言われている(戦後に補修が行われた)。

 1955年(昭和30年)には琉球政府文化財保護委員会により重要文化財の史跡・名勝の指定が行われた。

 1972年に国の史跡に指定され、2000年に首里城跡等と共に、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録される。

感想

 最寄のバス停(安谷屋)からは緩い上り坂を30分程度進む事になる。

 自動車の場合、入り口に専用駐車場がある。

 入場料は400円。

 城は西向きだが、管理事務所は東側にあるので、事務所指定の順路では裏門から入って正門へ向かう形になる。

 復元・発掘作業が進められている為、立ち入り禁止となっている区域もある。

 比較的新しい郭と、古い郭では石垣の石の積み方が異なり、その違いを楽しむのも良い。特に正門辺りの古い郭は、石垣の作りや風化具合により、南米の古代遺跡を連想させる。

 石畳になっている部分があるが、風化が進んでいるので、靴は最低でもスニーカーが必要(部分的には登山靴でなければ駄目なのでは、と思う所も)。

 主郭からは太平洋が望める。

 

  

中城城全貌

南の郭の石垣(正門付近)

南の郭の石垣(正門付近)

 

  

南の郭の珊瑚礁っぽい石

一の郭内

一の郭から望む太平洋

 

  

一の郭内から望む石垣

一の郭内から望む石垣

一の郭から望む二の郭

 

  

一の郭と二の郭を結ぶアーチ門

一の郭内から見た一の郭の石垣

二の郭から観た一の郭石垣とアーチ門

 

  

二の郭から望む三の郭

二の郭石垣

二の郭内部

 

  

二の郭から望む北の郭

二の郭から望む一の郭石垣

二の郭から望む一の郭石垣とアーチ門

 

  

二の郭の石垣

二の郭の石垣

一の郭と二の郭を結ぶアーチ門

 

  

北の郭から見た二の郭石垣

北の郭から見た二の郭石垣

北の郭と正門

 

  

三の郭への石段と二の郭石垣

三の郭から見た二の郭石垣

三の郭から見た二の郭石垣

 

  

三の郭から見た北の郭

三の郭から見た二の郭石垣

北の郭

 

  

北の郭から見た石垣

北の郭から見た一の郭石垣

大井戸(ウフガー)

 

  

大井戸から石垣を見上げる

大井戸から石垣を見上げる

大井戸への石段

 

  

北の郭から二の郭の石垣を見上げる

北の郭(裏門)から二の郭の石垣を見上げる

北の郭の石垣

 

  

裏門(城外)

裏門前(城内)から望む北の郭

裏門(城内)

 

  

裏門付近から望む三の郭石垣

裏門(城外)

裏門(城外)

 

  

裏門、三の郭石垣

三の郭石垣

三の郭石垣(南側)

 

  

三の郭石垣

三の郭石垣

三の郭石垣と裏門

 

  

三の郭石垣と裏門

記念運動場から望む三の郭石垣

入口から望む三の郭石垣

 

  

中城城全景

記念運動場から望む三の郭石垣(実際にはラストに撮影)

 

  

正門(城外)

正門(城外)

 

  

正門(城内)

正門(城内)

 

  

修復された一の郭石垣

発掘調査中の一の郭

 

  

一の郭石垣

一の郭から望む太平洋

 

  

一の郭石垣

一の郭から望む二の郭

 

  

一の郭

拝所

 

  

二の郭から望む一の郭石垣と門

二の郭

 

  

二の郭から望む一の郭石垣

二の郭から望む北の郭

 

  

二の郭から望む一の郭石垣

二の郭から望む一の郭石垣

 

  

二の郭から望む石垣

北の郭から望む二の郭石垣

 

  

北の郭

三の郭への石段と二の郭

 

  

裏門(城内)

三の郭

 

  

北の郭

北の郭と大井戸への石段

 

  

大井戸

北の郭から望む二の郭石垣

 

  

北の郭から望む二の郭石垣

北の郭石垣

 

  

裏門

裏門と三の郭石垣

 

  

裏門の上から望む北の郭

裏門の上から望む三の郭石垣と記念運動場

 

  

裏門の上から望む三の郭石垣(手前の草地は地面ではなく、石塁の上)

裏門の上から望む北の郭(手前の草地は地面ではなく、石塁の上)

 

  

裏門の上から望む三の郭石垣

裏門の上から望む三の郭石垣

 

  

裏門(城外から)

裏門と三の郭石垣

 

  

裏門と三の郭石垣

三の郭石垣

 

  

三の郭石垣

三の郭石垣

 

  

三の郭石垣

裏門と三の郭石垣

 

  

記念運動場にある模型

記念運動場にある模型

 

  

記念運動場にある模型と実物

城への入口。場所的には裏門に当たる

 

 

TOPへ戻る

 

今帰仁城

 

  

平郎門(本門)。志慶真門郭の石垣。志慶真門郭から見る主郭の石垣

 

別名

北山城

所在地

沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101

種類

山城

築城者

 

築城年

13世紀頃か

遺構

城壁、石垣

初訪問

2012年2月

備考

 今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀まで遡る。いつ頃、そして誰によって築かれたかは、現時点では不明である。

 14世紀頃、沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山県立の時代」だった。今帰仁城は、北山王の居城となる。城下は中国との貿易もあり、大いに栄えたが、1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされる。

 北山の敗北後、中山は北部地域の管理とし監守を設置。1422年以後監守の居城となる。

 1609年に薩摩軍による琉球侵攻に遭い、城は炎上。廃城となった。

 2000年に首里城跡等と共に、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録される。

 直ぐ近くにミームングスクやシニグンニ等の出城(とされる遺構もある)。

 以前は平郎門(本門)からが城だと思われていたが、更にその外に石垣で囲まれた外郭がある事が判明し、それらの発掘・修復の作業も進んでいる。

感想

 最寄のバス停(今帰仁城入口前)からは、徒歩で20分程度の場所にある。

 自動車の場合、専用駐車場がある。

 入場券(400円)は、駐車場の隣にある交流センターで買う。入場券は、直ぐ側の歴史文化センターの入館にも利用出来る。

 城内は高低差が大きく、石畳の区域も多い為、靴は動き易いものにする必要がある。

 万里の頂上を連想させる曲がりくねった石垣は圧巻。

 主郭からは、東シナ海が望める。

 

  

外郭の石垣

外郭から望む大隈の石垣

平郎門付近から望む大隈の石垣

 

  

城内から望む平郎門と狭間

カーザフ

平郎門と大庭を結ぶ道(新たに整備されたもの。本来の道は現在旧道と呼ばれる)

 

  

主郭

御内原から望む主郭石垣

御内原から望む志慶真門郭石垣

 

  

御内原から望む志慶真門郭石垣

御内原から望む志慶真門郭石垣

御内原の拝所

 

  

御内原から望む志慶真門郭石垣

御内原から望む東シナ海

主郭の拝所

 

  

主郭

主郭の石垣

志慶真門郭石垣

 

  

志慶真門郭石垣の城内から

志慶真門郭から見上げる主郭石垣

志慶真門郭石垣

 

  

志慶真門郭から見上げる主郭石垣

志慶真門郭石垣

志慶真門郭から見上げる主郭石垣

 

  

志慶真門郭石垣

大隈の旧道を見下ろす

旧道にあった魚型の石

 

  

大隈の旧道を見上げる

大隈内の自然岩石

大隈の石垣

 

  

大隈から御内原を見上げる

大隈から御内原を見上げる

大隈石垣(城内)

 

  

大隈石垣(城内)

大隈石垣(城内)

大隈から御内原を見上げる

 

  

大隈石垣(城内)

大隈石垣(城内)

平郎門横の狭間内部

 

  

平郎門外の花

大隈石垣(外郭から)

大隈石垣(外郭から)

 

  

大隈石垣(外郭から)

大隈石垣(外郭から)

大隈石垣(外郭から)

 

  

大隈石垣(外郭から)

外郭石垣

外郭から望む大隈石垣

 

  

外郭石垣

外郭から望む大隈石垣

 

  

外郭から望む大隈石垣

外郭石垣

 

  

平郎門

外郭から望む大隈石垣

 

  

平郎門(城外)

平郎門と狭間(城内)

 

  

カーザフ

大隈と大庭を結ぶ新道

 

  

主郭石垣

主郭

 

  

御内原から望む

御内原から望む志慶真門郭

 

  

御内原から望む志慶真門郭

御内原から望む志慶真門郭と東シナ海

 

  

御内原から望む志慶真門郭

主郭内拝所

 

  

主郭内石垣

主郭

 

  

主郭の石垣

志慶真門郭から見る主郭石垣

 

  

志慶真門郭石垣

志慶真門郭石垣

 

  

志慶真門郭から見上げる主郭石垣

志慶真門郭から見上げる主郭石垣

 

  

志慶真門郭から見上げる主郭石垣

志慶真門郭石垣

 

  

志慶真門郭から見上げる主郭石垣

志慶真門郭石垣

 

  

志慶真門郭から見上げる主郭石垣

志慶真門郭から見上げる主郭石垣

 

  

大隈

大隈から見上げる御内原石垣

 

  

大隈

大隈

 

  

大隈石垣

大隈石垣

 

  

平郎門と狭間

外郭から望む大隈石垣

 

  

外郭から望む大隈石垣

外郭から望む大隈石垣

 

  

外郭内の礼拝所

外郭から望む大隈石垣

 

 

TOPへ戻る

 

inserted by FC2 system